去年のはなし 長い夜

今日も晴天です。


鯉のぼりのタペストリーをかけました。

兜も出しました。
写真をと思いましたが、、、
写真を撮る私がガラスケースに写りこんでしまってうまく撮れませんでした。


今年は鯉のぼりはどうしましょうか。。
息子が小さいときは毎年欠かさず出していたのですが、ここ数年は出さずじまい。
ご近所さんも皆さんそんなかんじで、息子さんが成長すると飾らなくなってきたようです。
風にゆらゆらと揺れる鯉のぼりを見るのは好きなんですけどね。
青い空を悠然と泳ぐ鯉のように、息子にもしなやかに生きてほしいと思っています。



さて、夫の入院話のつづきです。
前回の救急車を呼んだ話から1ヵ月も経ってしまいました。
書き始めてしまったので、かいつまんで最後まで書こうと思います。



救急車が病院の夜間救急口に到着すると、看護師さんが大勢で待ち構えていました。
みなさんしっかり防護服を着ていて、厳しい顔つきでこちらを見ています。
コロナ感染者かもしれない人が運び込まれてくるという緊張感からだったのでしょう。


夫はすぐに病院内に運ばれてしまい、私は入口にひとりポツンと残されました。
少し待った後、男の看護師さんがやって来て、奥さんも感染しているかもしれないのでこちらでお待ちくださいと。
通常の救急待合室ではなくて、建物の端っこまで行って突き当りを曲がったところにある誰の目にもつかないようなベンチに案内されました。
検査結果が出るまでここでお待ちください、ということでした。


息子に電話して状況を説明したあと、そのベンチに座り待つことに。
何を考えていたのかはよく覚えていませんが、窓に映る自分の姿を見て、ひどく疲れた顔をしているなぁ、、と感じたことは覚えています。
バッグに入れて持ってきたシリアルバーを食べてお腹を満たし、眠ることも出来ずに待ちました。
夫の状態について誰かが説明に来てくれることもなく、ほんとうにずっとひとりぼっちでした。


夕方6時過ぎに救急車を呼んだので、病院に到着したのは7時頃。
その後、夫はコロナに感染していないことが分かり、カーテンで仕切られてベッドが並んでいる救急患者のための部屋に案内され、夫の顔を見ることができたのは日付が変わった1時頃でした。
点滴の管が刺さっている状態でまだ全身が痛くて辛そうでしたが、待っている間に最悪のことも頭をよぎっていたので、無事な姿にほっとしました。
看護師さんの話では、原因がまだよく分からないのでしばらく入院して検査と治療を進めるということでした。
点滴が終わるまでしばらくの間はその部屋で過ごし、その後、入院する病棟までベットを転がして移動しました。
病室に着くと、入院手続きについてや入院生活に必要なもの等の説明をざっと聞き、あっという間に、では奥さんはお帰りくださいと言われ、タクシー乗り場を教えてもってタクシーで帰ることに。


外に出るといつの間にか小雨が降っていました。
大きな病院なので敷地内にタクシー乗り場があって、こんな真夜中でもタクシーがたくさん停車していました。遠くから見ると、しとしとと小雨の暗い夜の中、そこだけが薄ぼんやりと明るく浮き上がって見えるようでした。


タクシーに乗り込むと同時に、運転手さんに「お疲れさまです」と言われました。
続けて、今日は急患が多かったみたいだから大変だったねぇ、今帰りっていうことは〇〇科なの?と声をかけてくれます。
??と思ったのですが、、
あぁそうか、私のことを勤務終わりの看護師さんだと思っているんだなと分かりましたが、訂正するのも面倒だったしそんな気力もなかったので、適当に話を合わせてしまいました。


窓から見える景色が見慣れたものになってきて、ようやく家に帰ってきたんだなぁと安心したのを覚えています。
降りるときも「お疲れさまでした」と言ってもらい、確かに疲れたよなぁ~などと考えながらとぼとぼと歩き、家に着いたのは朝方4時少し前でした。
息子の寝顔を見てから少しだけ眠ることにしました。


そしてその数時間後から病院通いの日々が始まることになりました。