さて何でしょう

今日も快晴です。


昨日作ったクッキーです。
夫が何これ?と言っておそるおそる手に取っていました(笑)が、食べたら美味しかったようで、止まらなくなっていました。

実はこれ、お麩に溶かしバターとグラニュー糖をからませて焼いたものなんです。
奥園壽子さんが YouTube で紹介していたのをみて作ってみました。

からめるとこんな感じになります。

生地を成型する必要がないので、材料をからませたらトレイに並べて焼くだけです。


とても簡単、そしてかなり美味しいです!
焼きたてもしっとりしていて美味しいのですが、しっかり時間をおいてパリッとした食感のほうが好みです。ラスクみたいな美味しさです。


あっという間になくなってしまったので、今日も作りました(笑)
昨日はちょっと焦げてしまったので(夫はこの苦みが良いとは言ってましたが)、焼き時間を短くして、今日は少し色白のクッキーにしてみました。

去年のはなし 動きまわる日々

今日も晴天ですが、昨日よりも風が強いです。


常備している焼きそば
息子が大好きで週末のお昼に食べることが多いです。

太麺や液体ソースのものを試したこともありますが、息子はこのマルちゃんの粉末ソースの細麺タイプが好きで、我が家の焼きそばはいつもこれです(笑)


今日、私のお昼はこの麺を使ってかた焼きそばにしました。

ごま油で麺を両面しっかり焼いて、ボイル済みの冷凍あさりと冷蔵庫にある余り野菜を入れ、創味シャンタンとオイスターソースで味付けしてみました。



去年のはなしのつづきです。


病院から帰宅したあととりあえず眠ることにしましたが、色々と考えてあまり寝つけないまま外は明るくなってきました。
6時過ぎには起きて動き出していました。まずは病院で必要なものを揃えます。
パジャマ、下着、靴下、タオル、洗面道具や箱ティッシュ、ウェットティッシュ等、思いつくものを一か所にまとめておきました。


その後、起きてきた息子に夫の状態を説明しながら朝ご飯を食べました。
ちょうどこの頃、学校がコロナの影響で休校になっていて息子の朝の送り出しがなかったので、そこは少し気持ち的に楽でした。


面会は午後から可能で病院のお昼ご飯が終わった頃に来るように言われていたので、息子のお昼用にとカレーを作ってから、大きな荷物を持って病院へ向かいました。


ベッドの上の夫は今日も点滴の管がついています。
前日は痛みが辛くてほとんど話ができなかったのですが、今日は少し話せるようになっていました。
でもまだ体をうまく動かすことが出来なくて、腕もほとんどあげられない状態でした。
病院の食事はスプーンや箸をうまく持つことができなくて、なんとか持ったとしても口まで運ぶことが大変でほとんど食べていませんでした。
私が着いたときにはまだ食事が下げられていなかったので、私が口まで運んで食べさせることができました。
身体も看護師さんが拭いてくれたようですが、遠慮してたくさんお願いしなったようで、夫が拭いてほしいと思う背中や首筋、足の指先などを濡らしたタオルで拭き、歯磨きもしたいというので私が磨きました。
身体を動かすことも口を開けることも普通にできないので、どちらもとても時間がかかります。
そのあと持ってきた荷物をロッカーに入れてしばらく夫と話をしたりしましたが、そのうち夫が疲れてしまい眠りたいというので、私は帰ることに。
もともと面会は2~3時間という決まりで、ちょうどそれくらい経っていました。


病院から家まではバスを2回乗り継ぎます。乗り継ぎするバス停のそばに大きな商店街があってたくさんお店が並んでいます。
普段来ることのない商店街なので見るのも楽しく、私にも疲れが出てきていて帰ってからお夕飯を作る気力がなかったので、お夕飯のおかずはそこで買って帰ることにしました。


しばらくは今日のようなリズムで動くことになるのかなぁ~と漠然と思いながら、買い物したのを覚えています。
その頃の私は更年期が辛くて家で横になっていることが多かったのですが、私よりもずっと症状の重い夫を思えば、そんなことを言ってる場合じゃなくなりました。
ダラダラと布団の中で過ごすことが多かった私が、思いがけず病院通いという仕事を与えられて、人が変わったように動きまわることになりました。

去年のはなし 長い夜

今日も晴天です。


鯉のぼりのタペストリーをかけました。

兜も出しました。
写真をと思いましたが、、、
写真を撮る私がガラスケースに写りこんでしまってうまく撮れませんでした。


今年は鯉のぼりはどうしましょうか。。
息子が小さいときは毎年欠かさず出していたのですが、ここ数年は出さずじまい。
ご近所さんも皆さんそんなかんじで、息子さんが成長すると飾らなくなってきたようです。
風にゆらゆらと揺れる鯉のぼりを見るのは好きなんですけどね。
青い空を悠然と泳ぐ鯉のように、息子にもしなやかに生きてほしいと思っています。



さて、夫の入院話のつづきです。
前回の救急車を呼んだ話から1ヵ月も経ってしまいました。
書き始めてしまったので、かいつまんで最後まで書こうと思います。



救急車が病院の夜間救急口に到着すると、看護師さんが大勢で待ち構えていました。
みなさんしっかり防護服を着ていて、厳しい顔つきでこちらを見ています。
コロナ感染者かもしれない人が運び込まれてくるという緊張感からだったのでしょう。


夫はすぐに病院内に運ばれてしまい、私は入口にひとりポツンと残されました。
少し待った後、男の看護師さんがやって来て、奥さんも感染しているかもしれないのでこちらでお待ちくださいと。
通常の救急待合室ではなくて、建物の端っこまで行って突き当りを曲がったところにある誰の目にもつかないようなベンチに案内されました。
検査結果が出るまでここでお待ちください、ということでした。


息子に電話して状況を説明したあと、そのベンチに座り待つことに。
何を考えていたのかはよく覚えていませんが、窓に映る自分の姿を見て、ひどく疲れた顔をしているなぁ、、と感じたことは覚えています。
バッグに入れて持ってきたシリアルバーを食べてお腹を満たし、眠ることも出来ずに待ちました。
夫の状態について誰かが説明に来てくれることもなく、ほんとうにずっとひとりぼっちでした。


夕方6時過ぎに救急車を呼んだので、病院に到着したのは7時頃。
その後、夫はコロナに感染していないことが分かり、カーテンで仕切られてベッドが並んでいる救急患者のための部屋に案内され、夫の顔を見ることができたのは日付が変わった1時頃でした。
点滴の管が刺さっている状態でまだ全身が痛くて辛そうでしたが、待っている間に最悪のことも頭をよぎっていたので、無事な姿にほっとしました。
看護師さんの話では、原因がまだよく分からないのでしばらく入院して検査と治療を進めるということでした。
点滴が終わるまでしばらくの間はその部屋で過ごし、その後、入院する病棟までベットを転がして移動しました。
病室に着くと、入院手続きについてや入院生活に必要なもの等の説明をざっと聞き、あっという間に、では奥さんはお帰りくださいと言われ、タクシー乗り場を教えてもってタクシーで帰ることに。


外に出るといつの間にか小雨が降っていました。
大きな病院なので敷地内にタクシー乗り場があって、こんな真夜中でもタクシーがたくさん停車していました。遠くから見ると、しとしとと小雨の暗い夜の中、そこだけが薄ぼんやりと明るく浮き上がって見えるようでした。


タクシーに乗り込むと同時に、運転手さんに「お疲れさまです」と言われました。
続けて、今日は急患が多かったみたいだから大変だったねぇ、今帰りっていうことは〇〇科なの?と声をかけてくれます。
??と思ったのですが、、
あぁそうか、私のことを勤務終わりの看護師さんだと思っているんだなと分かりましたが、訂正するのも面倒だったしそんな気力もなかったので、適当に話を合わせてしまいました。


窓から見える景色が見慣れたものになってきて、ようやく家に帰ってきたんだなぁと安心したのを覚えています。
降りるときも「お疲れさまでした」と言ってもらい、確かに疲れたよなぁ~などと考えながらとぼとぼと歩き、家に着いたのは朝方4時少し前でした。
息子の寝顔を見てから少しだけ眠ることにしました。


そしてその数時間後から病院通いの日々が始まることになりました。