去年のはなし 初救急車

今日は朝から曇り空で少し前から雨が降りだしました。


去年の今頃、夫は入院していました。
3月の初め、朝方に突然全身が筋肉痛のような痛みに襲われ、耳下も痛くて口を大きく開けられなくなりました。
それでもなんとか朝ごはんにとヨーグルトやゼリーを食べ、とりあえず横になって眠りたいと夫は言いました。
次に起きてもまだ体調が悪かったら病院に行ってみるよ、などと言いながら2階の寝室に向かいました。四つん這いになってゆっくり階段を上がる夫の姿が普通じゃないぞと思い、病院に行くならば私も付き添ったほうがいいな、、と感じていました。
夫は夕方までぐっすり眠り、目覚めると高熱で全身の痛みが前より強くなっていて寝返りさえもうてなくなっていました。
どうすることもできなくて、救急車を呼ぶことになりました。


ちょうどコロナのニュースが出始めた頃でした。
家に来てくれた救急隊員さんに夫も中国滞在の有無を質問されていました。
夫は仕事柄、海外出張が多いのですが、なんと前年の9月頃に武漢に行っていたのです。
私もその話を夫から聞いて知っていたのですが、コロナに感染していたらもっと早い段階で症状が出ているはずだし、夫はそれまでずっと元気だったので、大丈夫だと安心していました。
さらにそのときの私は気が動転していて、救急車を呼んだときにも電話口で中国への渡航歴を質問されたのに、その話がすっかり頭から抜けていて、伝えていませんでした。


担架に乗せられた夫と一緒に私も救急車に乗りました。
武漢滞在歴がある病人なのでコロナ感染の疑いもあるため、コロナ患者を受け入れてくれる病院探しが始まりました。
いつまでも病院が決まらず、救急車は動き出せずにいました。
しばらくしてやっと決まった病院は、意外にも家からわりと近い病院でした。
サイレンを鳴らして走るあいだ、私は息子に病院が決まったこと、冷蔵庫にあるもので何か食べなさい、戸締りをして先に寝てなさい、などと携帯で伝えていました。


私は救急車に乗るのははじめてでした。
武漢に行っていたことをすっかり忘れていて、最初の段階で私が電話で伝えていなかったことで病院探しが面倒なことになっているのに、救急隊員の皆さんはそんなことを表に出さず、とても優しく声をかけてくれました。
有難いと思う気持ちと申し訳ないという気持ちと心細さで泣きたくなるのをずっと我慢していました。


これが長い夜の始まりでした。
この話は少し続きます。